公書記長

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2011年8月17日 (水) 10:00時点における山奥 (トーク | 投稿記録)による版
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公書記長(おおやけしょきちょう、1990年? - )公人民連邦の政治家、社会運動家。平壌工科大学客員教授[要出典]。名は公で、書記長は役職、または敬称である。かける様大学博士後期課程修了。

生涯

中学生時代に同級生の影響で政治に目覚め、14歳で共産党宣言を、15歳で資本論を読破した。2005年に私立学校に入学するも、無理を押しての通塾や弟の散財から生活は困窮し、進学が危ぶまれたが、中学校卒業後に神のお導きによって、飛び級でかける様大学博士課程に入学する。同年3月28日、かける様帝国に地方委員会を設置[1]した後、革命により政権奪取し、鎌槌党を結成。第一回党大会で中央委員会の初代書記長に就任、同委員会最高会議幹部会議長を兼任した。翌日、公人民連邦設立宣言[2]、以後青年"再"教育運動に従事。また、党名を人民連邦社会民主党に改める。その後、苛性ソーダの生成を理由に無断で試験管を持ち出したことから窃盗の罪に問われたが、辛くも難を逃れている。左右分別を政治に対する思考停止の呼びかけとして徹底的に批判し、自身に旧概念での左翼的思想が根付くことを認めながらも、論題によっては極右にすら成り得るとの主張から、無関主義的独立主義者を称した[3]。かける様大学では自己批判による救いや、政治の徹底的議論による問題解決の必要性を説き、これらの功績から中立以下の極位とされる、かける様大学第五(七次元菩薩界に相当[要出典])に叙せられている[要出典]。また、幼少よりピアノを学んでいたことから音楽にも造詣が深く、作曲も手掛けている。

逸話

  • カップラーメンの3分の待ち時間について、準ファシスト的なファシストの影響を受けてファシズムに人民を慣らすための帝国主義の尖兵であると激しく批判している。これは『日清 スープの達人 背脂とんこつ醤油』の調理に当たり、お湯を注いだ後、まったく待たずに食べたところ、たいへんに美味しかったため[4]

脚注

外部リンク