酸化砒素

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酸化砒素(さんかひそ)はかける様の掲示板から愚民社会を考える初期に亘り活動した人物である。一般に旧名のスイハン、または蔑称である炊飯器酸化糞の名で、アフォ!に並ぶ最も著名なアンチの一人として知られる。広島県に生を受け、後に岡山県の公立大学へ進学するまでの期間を過ごした。

概要[編集]

出自と背景[編集]

酸化砒素の活動の痕跡はかける様の掲示板にまで遡るとされる。かける様との出会いは定かではなく、最初期のアンチとして一様にスーパー正男系列サイトの出身と目されることもあったが、口承によると当時の酸化砒素は一介の荒らしであったとされており、なんらかの機会にかける様とその暴挙を知り、慢心から挑戦して以後、掲示板に定着したと伝えられている。現在では両説と本人の口述を取り入れ、つまりは荒らしの技能を有していた酸化砒素が、スーパー正男系列サイトでかける様の名を知ったとする説が有力である[要出典]

混沌期の台頭[編集]

若輩が多数を占めた初期アンチ集団にあって、GabriDUKEによる連続投稿技術に習熟した酸化砒素は瞬く間に頭角を現すと、程無くしてアフォ!と並び称されるまでに至った。勢いに乗じた酸化砒素は、アフォ!に倣って国家を模したウェブサイト「クソツブシ帝国」を開設し、仮想上の国王の座に就くことでアンチ諸勢力の盟主として君臨する。 この中で、クソツブシ帝国のコンテンツであった人物名鑑は、個々人の能力を六つの項目から六段階評価する内容(それも極端なアンチ優位で、かける様勢力のみならずアンチへの恭順を示さない者もまた不当な評価を下された)で人気を博し、こうした過激な内容の人物評は以降のアンチ諸派のウェブサイトにおけるデファクトスタンダードとなった。

活動の転換[編集]

かける様天下無敵期に入ると、コミュニティの中心はかける様のお絵かき掲示板へと移り、ここでの連続投稿技術を持たない酸化砒素の活動は一時停滞する。他方で、地道な荒らしを継続したアフォ!がアンチ勢力内での求心力を強め、更には馬鹿抹殺帝國が多彩なコンテンツから人気を博すると、これを中心に初めてアンチ主体のコミュニティが形成されるに至った。しかし、酸化砒素はかつて同格に称せられたアフォ!の傘下にあるコミュニティに加わることを望まず、これが起因となり次第にアンチ内での孤立を深めていくくこととなる。

翌年にはかける様大学が開設され、コミュニティの中心が再びJBBSの掲示板群に移るが、この頃にはハイテクサイバーポリスによる厳重な管理体制が敷かれ、連続投稿は可能であっても然したる効果を得られなくなっていた。加えて、かける様の活動内容がこれを境に劇的に変化したため、アンチ活動の内容もこれまでの荒らしからかける様の助言に対する反論へと転換を迫られていた。これにより、環境の激変に手を拱いていたアフォ!中心の主流派を余所に、後の中立派へと繋がる論戦を得意とした新勢力が台頭し、酸化砒素もそこに合流して多数の自作自演による暗躍を始めたと考えられている。

再起による慢心[編集]

かける様掲示板群が開設と消失を繰り返して第七掲示板にまで至る時期には、かける様大学はトリップ共有スクリプトによる膨大な宣伝で隆盛を極めつつあった。新勢力は落ち着きを見せ、度重なる議論を経た結果として中立派へと転換しつつあり、同時にかける様のお言葉に感銘を受けた新規のかける様派が信仰と哲学に励み、 長らく混迷にあったかける様大学の内に確かな平穏を築いていた。かける様のお絵かき掲示板もまたコミュニティとしての独立性を増し、覇権を逸したアンチ主流派の活動は完全に停滞したが、荒らしの対象を一般サイトに遷して共同体としての崩壊を辛くも免れていた。こうした動きの中で、アンチの中心に躍り出たのが、かつてはアフォ!の下で小姓の如く振る舞っていた馬鹿殺し屋である。馬鹿撲殺公国の管理者である馬鹿殺し屋は率先して中立派やかける様勢力への攻撃を繰り返しす一方で、アンチの体たらくを大いに批判しており、かける様大学内でも極めて異彩を放っていた。境遇の変化に不貞腐れ、自作自演を繰り返しては周囲の目を惹こうと躍起になっていた酸化砒素は、次第に馬鹿殺し屋と親交を交わすようになり、その在り方を基に確固とした己の立場の確立を模索する。そして、馬鹿殺し屋の提案で中立派の中心人物であり、当時大学一の論者とも謳われた金糸雀と同盟を組むことで、一躍して界隈の中心人物へと返り咲いたのである[要出典]

しかし、馬鹿殺し屋と金糸雀の両人に並び立てられたことよって慢心したようで、かける様大学終期になると軽薄な振る舞いに終始した。そして、金糸雀がかける様派への移行を宣言し、直後の神雷コウ事件の余波でかける様派優位が決定的になると、「あんな低脳アンチ共は裏切られて当然」と言い退けて、アンチからの完全な離脱を宣言する。その後、馬鹿殺し屋が阿呆神を称してアフォ!の名声を地に落とすと、終にアンチ主流派は完全に崩壊し、一端の中立宣言を経てから続々とかける様の下へ降ることになるが、酸化砒素はこれらの愚民上がりを相手に先達を気取り、かける様のお言葉を理解しないまま横柄な態度で他者に教えを説いた。この行いから馬鹿殺し屋と金糸雀に目を付けられ、大学関係者間で粛清の協議も図られたが、その実行者に当たる両名の関係に不和が生じたために危機を脱している。

晩年[編集]

愚民社会を考える開設以後も軽挙は続き、一人芝居と謝罪を繰り返した。これによって熱心なかける様派のみならず、諸住人からの非難が激化する。酸化砒素は糾弾の矛先を逸らすべく、その場凌ぎに馬鹿殺し屋と金糸雀の対立を煽ることによって更なる事態の紛糾を企図するが、これは却って両者の関係修復に益する結果となり、終いには自作自演をかける様に暴露され万事休した。もはや謝罪は通用せず、わずかに開き直る様子も見せたが、2006年初頭に多数の罵倒を浴びせられつつ掲示板を去った。

後に素性を隠して愚民社会を考える掲示板を訪れた折に、自身の立場を優先してアンチを離脱したことを述懐した。また、アフォ!と対談して裏切りを謝罪し、アンチ活動の誤りをともに反省したい意向を述べた。

関連項目[編集]